芸能・エンタメ

森英恵の家系図や生い立ちや経歴は?ブランド倒産も資産はすごい!




ファッションデザイナーとして日本を代表する森英恵さん。

96歳で生涯を閉じられましたが、孫にはタレントとやモデルとして活躍している森泉さんや森星さんもいて、森英恵さんの家系図は華々しいもののようですね。

また過去にブランドが倒産していますが、資産は変わらずすごいようです。

なぜなんでしょうか?

そんな森英恵さんの家系図や、生い立ち・についてと、過去の倒産と資産についてもあわせてみていきます。

 

この記事でわかること

  • 森英恵の華やかな家系図とは?
  • 森英恵の生い立ちや経歴は?
  • 森英恵のブランド倒産と資産について

さっそくみていきましょう。




森英恵の華やかな家系図とは?

森英恵さんから始まる家系図はとても華やかです。

 

森英恵さんは1948年に元陸軍主計少佐の森賢(もりけん)さんと結婚します。

そして2人の息子に恵まれます。

 

長男は森顕(もりあきら)さんで、株式会社ハナヱモの元社長を務めています。

そして、森顕さんの妻は元ファッションモデルの森パメラ(パメラ・アン・ハリス)さんです。

そして森顕さんとパメラさんの間には5人の子供たちがいて、長男は森研(もりけん)さんで株式会社M-ENTERTAINMENT代表取締役、株式会社INFASパブリケーションズ常務取締役などを務める実業家です。

次男はファッションデザイナーの森勉(もりべん)さん、長女はモデルでタレントの森泉さん、次女は元モデルでファッションプロデューサーの森雪(もりゆき)さん、三女はモデルの森星(もりひかり)さんと、これだけでも豪華な顔ぶれですね。

 

森英恵さんの次男は森恵(もりけい)さん(1955年5月1日生まれ)で、「株式会社マイカシミヤ」の代表取締役を務めています。

1997年にハナエモリに入社、役員も務め、2000年にアメリカでマイカシミヤを立ち上げ、2004年にはマイカシミヤJapanを設立しています。

株式会社 マイカシミヤ ホームページ

 

あと、森英恵さんには長女がいますが、詳しい情報は見つけられませんでした。

 

一族のほとんどがファッション関係に携わっていて、森英恵さんの影響の大きさを感じますね。




森英恵の生い立ちや経歴は?

森英恵さんの生い立ちや経歴はどうだったのでしょうか?

簡単なプロフィールからみていきます。

森英恵 1926年1月8日  96歳没

島根県鹿足郡六日市町(元:吉賀町)出身

父親:山口県の医師の家系、六日市町で開業医

母親:六日市町出身

5人兄弟の4番目で、兄が2人と姉が1人、妹がいる

長兄と次兄は結核で若くして他界

森英恵さんは5人兄弟の4番目として生まれています。

父親は森英恵さん姉妹が幼い頃から、大阪の高島屋や東京の三越から、着る服をメールオーダーしていました。

森英恵さんの幼い頃といったら、今から80年以上も前のことですよね。

そんなときから百貨店で服をメールオーダーするとはすごいことですね!

娘たちにはいいものを着せたいという思いがあったのかもしれません。

そういった普段から服装に気を遣うという父親の想いが、森英恵さんの人生にも影響していたのでしょう。

父親が医師ということもあり、裕福な家庭だったと想像できます。

森英恵の経歴

森英恵さんは森賢さんと結婚後、ドレスメーカー女学院の通い洋裁技術を習得します。

1951年 洋装店「ひよしや」を開く

夫の森賢さんの人脈からの映画監督の依頼で映画衣装を手がける

1954年 銀座にブティック&サロンの「ハナヱ・モリ」をオープン

1963年 「ヴィヴィド」を設立、プレタポルテ分野に本格的に進出

1965年 ニューヨーク・コレクションに初参加

1967年 ニューヨークのWest Point Pepperell Co. と契約し、寝具、タオルをデザイン

1969年 インド手工芸織物輸出公団とデザイン契約

1970年 ニューヨークのウォルドルフ・アストリアホテルにブティックをオープン

1972年 ロンドンでコレクションを発表

1973年 ニューヨークのセブンスアベニューにショールームオープン

1975年 グレース妃の招きでモナコでファッションショー開催

パリで初のショーを開く

1976年 ニューヨーク79丁目にファッションハウスオープン

1977年 アジア人として初めてフランス・オートクチュール協会会員に認められる

1978年 表参道にハナヱ・モリビルをオープン

1983年 エムケイタクシーの制服デザインを制作

1985年 パリ、フォーブルサントノーレにブティックをオープン

1988年 美空ひばりの復活コンサートの衣装デザインをする

1992年 バルセロナオリンピック日本選手団の公式ユニフォームデザイン

1993年 皇太子妃雅子さまの結婚の儀のローブデコルテをデザイン

1994年 リレハンメル冬季オリンピック日本選手団の公式ユニホームをデザイン

2002年3月 「ハナエモリ」ブランドを「株式会社ハナエモリ・アソシエイツ」に移管し、継続運営

2004年7月 ショーを最後にオートクチュールビジネスから撤退

2008年 学校法人都築学園の「都築学園グループ評価・再生委員会」の委員となる

2012年7月 彫刻の森美術館と美ケ原高原美術館館長に就任

2015年 新ラインである「ニュー・ハナエモリ・スタイル」をスタート

2015年秋 ニュー・ハナエモリ・スタイルが「ハナエモリ マニュスクリ(Hanae Mori manuscrit)」として本格始動

参照:Wikipedia、ハナエモリ公式サイトより

森英恵さんは夫の森賢さんからの人脈で、映画の衣装を400本分も手掛けています。

『太陽の季節』、『狂った果実』、『彼岸花』、『秋日和』、『秋刀魚の味』、『四十八歳の抵抗』など、日本映画全盛期の頃で有名な作品ばかりですね。

その後は世界で華々しい活躍をされています。

結婚式のドレスといえば森英恵さんという印象がとても強いです。

当時、皇太子妃になられた雅子さまのローブデコルテをデザインされたことも有名ですね。




森英恵のブランド倒産と資産について

森英恵さんのブランド会社「ハナエモリ」は2002年5月30日に民事再生法を受理され倒産しています。

その負債総額はなんと101億円です。

ハナエモリが倒産した影には、当時のバブル景気崩壊という時代背景だけではなく、夫の森賢さんの存在もあったようです。

 

「経営は彼(夫の森賢)任せなんです。ビジネスは好調でしたが、この仕事を始めて2年目に税金がかかってきて、どう処理していいか困って、その時、彼が見てくれたんです。“バカだな”と言われました。その時、ビジネスになる面白そうな仕事だと彼は思ったらしいんです。それで、気がついたらいつの間にか彼が社長で、私がデザイナーということになったんです」

引用元:デーリー新潮より

 

森賢さんがしっかり経営面をやってくれていたので、会社としても成り立っていたんでしょうね。

森英恵さん自身は自分は経営者ではないと話しています。

1996年10月に森賢さんが亡くなっているので、バブルがはじけた後の経営がうまくいかなくなったのかもしれませんね。

全盛期(1980年代)の売り上げが400億円を超えていましたが、バブルがはじけ個人消費も冷え込み80億円にまで売り上げは落ち込み、さらに経営のカギを握っていた森賢さんが亡くなられたことも会社にとってマイナスとなったようで倒産してしまったんですね。

 

倒産しても個人資産は守られる

会社は倒産しましたが、個人の資産は別になります。

会社での負債は会社の責任であり、役員個人にその責任は及びません。

ですので、ハナエモリは倒産しても、個人の資産には影響がなかったということになりますね。

その後は、石坂公之助さんを社長に迎え、森英恵さんは新会社「ハナエ・モリ」でオートクチュール事業を継続しています。

森英恵さん自身は2004年7月7日のパリでA/Wオートクチュール・コレクションを最後に引退しています。

森英恵の資産は?

森英恵さん一族の総資産は1000億円以上と言われています。(参照:Wikipedia)

森英恵さんの子供や孫たちもそれぞれ活躍されているので、総資産が1000億円以上というのも納得な気もしますね。

 

森英恵さんの会社「株式会社ハナエモリ・アソシエイツ」の2020年8月に発表された資産によると、総資産は3億2196万円となっています。

純利益は3706万円で、安定した経営のようです。

自宅も100億円の豪邸と言われていて、森英恵さんの資産は計り知れないですね。




まとめ

森英恵さんの家系図や生い立ちや経歴、資産などについてみてきました。

 

森英恵さんの一家はほとんどの人がファッション業界に携わっていて、華やかな家系であることがわかりますね。

生い立ちからしても、小さい頃からいいものを着てきて、服装に気を遣っていた裕福な家系でありました。

会社は一度倒産しましたが、個人的な資産は残りセレブであったようですね。

森英恵さんの意思を引き継ぎ、子供や孫もファッション業界で活躍し続けていくのでしょう。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。